2024年2月27日火曜日
内田百閒と私
筑摩書房が月に2冊ずつ文庫判の日本文学全集を刊行したことがあった。
毎月それを買った。
そのとき私は10代で、そこに収録されていた内田百閒の作品には歴史的かな遣いが用いられていた。
百閒の作品をおもしろいと思って学校の図書館で、当時の福武書店から出ていた新輯 内田百閒全集を読んだ。
歴史的かな遣いのもつ雰囲気に夢中になった。
犬がべうべうと鳴いてゐる
と書いてあった。
ふつうに書くと
犬がびょうびょうと鳴いている
なのだが、字面では前者の方が圧倒的に趣深い。
当時私がおもしろいと思ったのは『山高帽子』だった。
長いという字を執拗に用いて手紙を書くところが好きだった。
真っ暗なガラス戸に
と書くところを
真っ暗長ラス戸に
とか、
顔の長い女が
と書くところを
顔の長いおん長
と書いてあり、この人は昔の人だけれど相当やばいと感じた。
けものを毛物と書くところも好きだった。
口の中に大量に毛が生えてきてしまう話も好きだった。
当時の自分と波長が合っていた。
百閒が飼っていた猫に関する随筆を集めた『ノラや』の目次を見ると、
ノラや
続ノラや
ノラやノラや
ノラに降る村しぐれ
ノラ未だ帰らず
というような文字列がならんでいてこれも、この人はかなりやばいなという感じがして、そこがよかった。
今記憶に頼って目次を再現したので実際とは少し違うかもしれない。
人に百閒を説明するとき、この人は漱石の十弟子のひとりで、漱石の『夢十夜』を増幅させたような感じのする作品を書くんだよと私はよくいっていたのだが、それでは到底説明しきれていなかった。
阿房列車のときの百鬼園先生をまねして軍手をはめていたこともあった。
10代から20代にかけて相当かぶれていた。
亡くなったお子さんが、財布の中に入っている小銭の額に納得がいかないと余分なお金を庭に投げ捨ててしまうというエピソードが百閒の随筆にあった。
どの本にも入っていない蜻蛉眠るという作品だけが未読だと思う。
お子さんの死に関係する文章だとどこかで読んだ。
今でも蜻蛉眠るのことは気になっている。